目的地を決めなければ、世界は広がらない

日本からニューヨークへ行ったとき、
ひとつ思っていたことがありました。

翻訳機があれば、何とかなるだろう。


けれど、実際は少し違っていました。


言葉が通じなくても、
相手の意図はなんとなく伝わる。

相手も、理解しようとしてくれる。


それでも、

そこには、わずかな「間」が生まれます。


その間は、ほんの一瞬です。

けれど、その一瞬が、
機会をすり抜けていくことがある。


今回も、
やり取りに時間がかかり、

本来、会えていたかもしれない人に、
会えませんでした。


たったそれだけのことですが、

その距離の正体が、
少しだけ見えた気がしました。


どれだけ便利なものが増えても、
言葉そのものの力は、やはり大きい。


非言語で伝わることもある。

けれど、それだけでは届かない領域もある。


ふと、思い出した言葉があります。


「最終的な目的地はどこか?」


以前、中国・広州で指導していた
サッカーコーチが話していたことです。


なぜ日本人は英語を話せないのか。
なぜ外国人選手は日本語を学ばないのか。


その理由は、とてもシンプルでした。


目的地が、日本にあるから。


国内にとどまる限り、
言語は“なくても何とかなるもの”になる。


必要に迫られない限り、
本気で向き合うことは、あまりない。


この感覚は、

鍼灸の世界にも、どこか似ているように感じました。


受療率を上げる。
患者数を増やす。


けれどその前提が、

限られた国内の中での話であれば、
いずれどこかで行き詰まる。


人口が減っていくなかで、
同じ場所を見続けていれば、

競争は、自然と強くなる。


そのとき、
視野は少しずつ狭くなっていく。


けれど、外に目を向けると、

また違った景色があることに気づきます。


日本の鍼灸を受けたいと思っている人は、
世界にいる。


それは、
これまで積み重ねられてきた信頼があるからです。


ただ、その場所へ行こうとするなら、
やはり言葉が必要になる。


何かと戦う必要はないのかもしれません。


無資格者の問題も、
制度の問題も、

それ自体は確かに存在します。


けれど、そこだけに目を向け続けると、
世界は少しずつ狭くなる。


やがて、
あらゆるものが“競争相手”に見えてくる。


本当に必要なのは、

広げることなのかもしれません。


今回の旅で残ったのは、
とてもシンプルな感覚でした。


私たちは、私たちのままでいい。


けれど、

どこへ向かうのかは、
自分で決めなければならない。


目的地が定まったとき、

言葉も、
行動も、
選択も、

少しずつ変わりはじめる。


日本にいると、
どこかで「何とかなる」と思ってしまう。


その感覚が、
見えないまま、可能性を狭めていることもある。


完璧である必要はありません。


たどたどしくても、
不完全でも、

つながることはできる。


そこから、
世界は少しずつ広がっていく。


だからこそ、

学びを止めないこと。
動き続けること。


その繰り返しの中で、

いつの間にか、
見えている景色が変わっていくのだと思います。


あなたの目的地は、どこにありますか。


その問いだけが、
静かに残っています。

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