先日、
千葉の厚生局へ行った帰りに、
千葉県立美術館
で開催されていた民藝展に立ち寄りました。
そこで目にした、
柳宗悦
の言葉が心に残っています。
「私は何よりも普段使いの品が健全にならずば、この世は美しくならないと思う者です」
豪華な工芸品ではなく、
日々の暮らしの中で使われる器や道具こそが、
健やかであってほしい。
その健全さが、
社会の美しさを支える。
そんな思想です。
展示を見ながら、
私は鍼灸のことを考えていました。
私が鍼で生計を立てられるようになったのは、
家元に弟子入りさせていただけたことが、
大きかったと思います。
その意味を探る時間も、
長くありました。
けれど近年、
「灸」というものに、
強く惹かれるようになっています。
もぐさを捻り、
火を灯し、
静かに据える。
その時間には、
鍼とはまた違う感覚があります。
より素朴で、
より原初的で、
どこか暮らしと地続きのような感覚。
灸に向き合うほどに、
医療というより、
「生活」に目が向くようになりました。
時代の変化とともに、
鍼は特別な技術となり、
専門性が高まり、
医療制度の中に位置づけられ、
日常から少し離れた存在になりました。
けれど本来、
鍼灸は特別なものだったのでしょうか。
民藝には、
「用と美」という考え方があります。
実用性と美しさは、
分けられるものではなく、
両輪として存在するもの。
道具は使われることで美しくなり、
暮らしに根ざしてこそ、
健全である。
それは、
鍼灸にも通じるのではないでしょうか。
私たちはどうしても、
「鍼をする人」に意識が向きがちです。
技術、流派、思想、実績。
けれど本質はそこではなく、
人々の暮らしのそばにあること。
医療は、
特別な舞台の上にあるものではなく、
日々の営みの中に、
静かに寄り添うもの。
民藝展を観ながら、
鍼灸もまた、
「普段使いのもの」であるべきなのではないかと感じました。
派手でなくていい。
奇跡を語らなくていい。
ただ、
健やかであること。
暮らしの中に、
自然に息づいていること。
それができたとき、
鍼灸もまた、
美しくなるのではないか。
そんなことを思いながら、
美術館を後にしました。

