最近、趣味でバスケットボールをしています。
仕事終わりに、
千葉市や習志野、市川などの中学校へ行き、
20年ぶりにコートに立っています。
そこで気づいたことがあります。
若い世代の選手たちは、
「攻める」ことはするのに、
「守る」ことをあまりしないのです。
はじめは時代の変化かと思いましたが、
複数の会場で同じ傾向が見られ、
ある種の共通性を感じました。
バスケットボールは団体競技です。
得点に至るまでには連動が必要であり、
ボールを持たない時間にも、
個人の役割があります。
けれど、
全体を見るのではなく、
自分のプレーに意識が向いている。
ボールを持たない場面では、
どこか“関係がない”ような空気がある。
なぜなのか。
ある患者さんにこの話をしたとき、
興味深い言葉が返ってきました。
「Enjoyって、日本では“楽しむ”と訳されますよね」
「でもそれ、少し違うと思うんです」
「“楽”という字を当てたことで、
苦しさはEnjoyではないと捉えられてしまった」
その方はラグビー経験者でした。
強豪国では、
苦しいことも含めてEnjoyだと考えるそうです。
その話から、
平尾誠二
さんの言葉を思い出しました。
「力を出さなければ面白くない。Enjoyはない」
この言葉は、
とても本質的だと思います。
現代は、
努力や厳しさを避ける方向に
流れているように感じます。
教育や社会の中でも、
「叱ること」が難しくなり、
強く関わること自体が
敬遠されるようになりました。
けれど、
本当にそれで
人は育つのでしょうか。
岡田武史
さんの話があります。
ランニングの際に、
「コーンの内側と外側、どちらを走るべきか」
と選手が質問したそうです。
実際には、
どちらでも体力差はほとんどありません。
けれど、
そのわずかな差をどう捉えるかで、
運を掴むかどうかが変わる。
そういう話です。
人生も同じなのだと思います。
楽をすることと、
Enjoyすることは、
本来は違うものです。
バスケットボールの試合では、
最初は楽しい。
けれど、
次第に苦しくなり、
足が動かなくなり、
やめたくなる瞬間が来る。
それでも、
チームのために動き続ける。
その時間こそが、
本当の意味でのEnjoyなのだと感じます。
仏教では、
人の苦しみの原因を
「三毒」と呼びます。
欲、怒り、無知。
人はそれに振り回されながら、
生きています。
けれど、
その中で何を学び、
どう在るか。
それが問われているのだと思います。
これまで多くの患者さんを見てきました。
病気になったとき、
希望を持てる人には、
ある共通点があります。
それは、
精神的に自立していることです。
鍼灸や治療は、
確かに支えにはなります。
けれど、
それだけで人生が変わるわけではない。
どんな状況でも、
その人自身がどう生きるか。
そこにすべてがかかっています。
チャールズ・チャップリン
の言葉に、
「人生は近くで見れば悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ」
というものがあります。
視点が変わるだけで、
同じ出来事も
まったく違って見える。
これは、
長く臨床をしてきて、
実感していることです。
人生には、
楽しさだけでなく、
苦しさも、悲しみも、怒りもあります。
それらをどう扱うか。
ただ生きるのではなく、
より良く生きるために
どう工夫するか。
そのために、
理性が必要なのだと思います。
鍼灸は、
何かを与えるものではありません。
より良く生きるための、
一つの選択肢に過ぎない。
大切なのは、
自分の軸を持ち、
どう生きるか。
Enjoyとは、
外にあるものではなく、
内側にあるものなのだと思います。

