歳を重ねての気づき

一昨年のこと。

青山ブックセンターで稲葉俊郎さんのトークイベントに参加しました。

山のメディスン』を出版してのものだったのですが、その時のお話がいまでも忘れられません。

登山の鉄則の中でももっとも大切なことが、パーティーの在り方や登山のペースを体力や経験が一番乏しい人に合わせるということです。

これをわたしはいのちのフィロソフィーと言っています。

弱い立場にいる人が自分の力を発揮できないと、チームとしては機能しません。

弱者を排除する考えを続けていると、チーム内では永遠に弱者が生まれ続ける構造が存在してしまいます。

そうしているうちに、自分自身が弱者になる時期が訪れ、排除される結果へとつながるのです。

学生の頃、鍼灸に対して抱いた違和感がありました。

また、鍼灸師の思考、思想が排他的のように思えたのです。

もちろん、病気に対して原因を探り、手を施すわけですから、そういう言動になることは不思議ではありません。

ただ、正しさや誤りに対して評価することに違和感を覚えました。

中医学を学んでいた時に感じた合理性。

東洋医学といえど実際には西洋医学と何も変わらず、病気を叩くことがあたりまえであって、全体をみているという実感がわきませんでした。

身体の構造においても、社会構造においても、弱いところが必然的にあるわけで、それを補いながら整え、時に動かして調節するといったことが大切なのに、必要なければ奪ったり、取ってしまったり、消したり、無くしたり、ということが当たり前であることに疑問を抱いたのです。

物事には大も小もあり、裏も表もあり、白も黒もあるわけですが、何が正しいかということは、それぞれの尺度によって異なります。

ただ、真理というものは変わらないわけです。

なぜこんなことを書いているかというと、科学は絶対ではなく、統計も正しいとは言い切れないということです。

それよりも自分を大切にするように人を大切にする。

そして、正しさを説くのではなく、明るく在るということが人間として、動物としてあるべき姿のような気がします。

高齢の患者さんから話を聞いていて、そんなことを思うのでした。



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