以前、患者さんに役所広司さん主演の『PERFECT DAYS』を紹介してもらったことがあるのですが、みなさんはこの映画を観ましたか?
この映画は東京の公共トイレ清掃員として働く男性の日常を描いた人間ドラマです。
私はこの映画を観たあとにYouTubeでBGMを探しました。
ありふれた日常の映像をみていて余韻に浸ってたのでしょう。
その時に芸人の又吉直樹さんが映画の紹介をしていることを知り、『PERFECT DAYS』の解説を観ることにしました。
印象的な言葉に「人生のほとんどは線である」というものがあったのですが、これは私たちの人生を線で例えているもので、何か起きたことは点として考えます。
そしてその点が多い方が人生は楽しい。
美味しいものを食べて、海外旅行にいって、ブランド品を手に入れて、いかに点が多い人生を歩むか。
しかし実際のところ人生のほとんどは線である。
昨日、寅さんの〈何ていうかな、ほら、あぁ生まれてきて良かったなぁってことが何遍かあるじゃない、そのために人間生きてるんじゃないか?〉というセリフを紹介させていただきましたが、何回もではなく、何遍か、という部分に人生の奥深さを感じるのです。
祖父は農作業をして、仕事を終えると風呂に入り、そして晩酌をしていました。
私はお酒を飲まないので正直なところ分からないのですが、このような日常に小さな喜びや楽しみがあるのだと気づき始めました。
先日、民藝展にいった際に本を買ってきたのですが、そこに書かれていた柳宗悦の言葉。
〈あの平凡な世界、普通の世界、多數の世界、公の世界、誰も独占する事のない共有の其世界、かかるものに美が宿るとは幸福な報せではないか。否かかる世界にのみ高い工藝の美が現はれるとは偉大な一つの福音ではないか。平凡への肯定、否、肯定のみされる平凡。私は「下手もの」に潜む美に、新しい眞理の顕現を感ずる〉
平凡な暮らしに固有の価値を見出すというのは、たくさんの物や情報が溢れた社会においては難しいかもしれませんが、非凡さから平凡さというのもありですよね。
こんなことを言いつつ、私は去年の今頃に中国へ鮪と日本酒を輸出する事業を考えていたり、タイ・ベトナムで鍼灸院を出すために動いていました。
これまでにもミャンマーに鍼灸学校を作ることを考えたり、点を打ち込むことばかり考えていたのです。
しかし、だんだんとその気持ちもなくなり、日常に目を向けるようになりました。
非凡でありたいと思っていたのに、平凡であることに幸せを感じるのです。
鍼灸院としても大病が治せることより、大先生になることより、会いたいと思ってもらえるくらいが今の自分には合っています。