左利きだから気づけたことがあった

仕事前にセブンイレブンに立ち寄りました。

コーヒーマシンの前には車いすの女性が1人。

その姿を見ていて何かできることがあったらサポートすることを考えていました。

しかし、日常的にやっていることなのか、その場でガムシロップを入れて蓋をして車いすのポケットにアイスコーヒーをしまいました。

私は会計を終えて車へ向かったのですが、先ほどの女性り車に独りで移乗しています。

余計なお世話ですが、コーヒーをこぼさないか心配になってルームミラーから見ていました。

そして、ふと思いました。

インフラやサービスの効率や高度化を目指しているのになぜこんなに不便なのだろうかと。

この夏はとても暑い時間が続きましたが、彼女たちは日々このような不便さの中で暮らしています。

自動運転システムよりもこういった困りごとに目を向けて欲しいと思うのです。

私は幼い頃から左利きなのですが、そのことに疑問を抱くことはありませんでした。

身の回りにあるものはすべて右利きのものです。

小学校で使うハサミも彫刻刀も小刀もそれが当たり前だと思っていました。

しかし、缶切りが上手に使えなかったり、自動販売機で小銭を落としたり、自動改札で切符をうまく入れれなかったり、スープをよそる時にこぼしたり。

マイペースということもあるのですが、こういったことは皆が感じていることだと思っていました。

日ごろ気になる匂いや音もみんな感じていると思っていましたし、ただ言葉にしないだと思っていたのです。

大人になってからそれらのことを皆が感じていない、気づいていないことを知ったのですが、そういった視点で考えた時に鍼灸師、セラピストとしての立ち位置が定まった気がします。

車いすの女性にしてみたら車への移乗は気にもならないことかもしれませんが、諦め故に気にしていないかもしれません。

だとしたら余計なお世話ですが、健常者にとっての余るものは多いわけです。

その労力を本当に困っている人のために手を差し伸べれてたら。

効率化や合理性を求めた時、ある一定数の人々はどうしても排除されてしまい、そしてそれさえも一時的には商売が生まれます。

先ほどの車いすの女性の話に戻りますが、車への移乗のしやすさを求めた設計がさらに発展して欲しいものです。

人口が減る中で誰もが社会的に弱者にはなりうるわけですから、強さやそれに対する便利さを求めるだけではなく、目の行き届いていないところに光を当てて欲しい。

そんなことを思ったのでした。



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