高校生の頃に母とオーストラリアへ行きました。
目的は兄のホームステイ先の韓国人女性に会うためです。
彼女はキャンディーさんという方で、早くに両親を亡くしていました。
東京でお兄さんと2人で暮らし、早稲田大学大学院で物理学を研究していたそうですが、自分よりも優れた人が多いことに挫折をして、一転オーストラリアで心理学を学び直すために日本を離れたそうです。
そんな彼女からかけられた「人に影響を与える人になりなさい」という言葉でした。
人から影響を受けるのではなく人に影響を与える。
そのためには自分で考えること。
きっと彼女の挫折から学んだことを、当時18歳の私に教えたかったのだと思います。
私はその言葉を信じて走ってきました。
ただ、祖父母が田畑を耕し野菜を育て家族を養っていたことも自分の中では大切な部分です。
コツコツと続けることの大切さ、自然とともに生きる覚悟と苦しみを教えてもらったと思っています。
40歳になり走り続けることには体力が必要だと知り、そして人生の中間地点にいることに気づいたとき、残りの人生で何が出来るのか考えると多くはありません。
ですから学術や技術は専門家に任せ、あとは病院やクリニックに鍼灸マッサージ師を配置すること、医師に鍼灸の繋ぐキッカケを作りたいと考えています。
つまり、まず食える鍼灸マッサージ師を育成する。
生活が安定していて、そこから学べる。
それにより外へ外へ枝葉を伸ばせるように。
これは小さいことなのか、大きいことかは関係なく、ただ鍼灸マッサージが好きだから、多くの人にこの鍼灸マッサージの良さを知ってもらうために、鍼灸マッサージ師の育成にかかわっていきたいと思います。
みなさんの暮らしに鍼灸マッサージを取り入れてもらえますように、残りの人生をつかって頑張りたいと思います。