先日、
千葉県立美術館
で開催されていた、
没後50年
髙島野十郎
展を観に行ってきました。
私は時々、
特定の作家を目当てにするのではなく、
ただ美しいものを眺めたいときに
美術館を訪れます。
今回足を運んだ理由は、
一枚の作品でした。
ホームページのトップに掲載されていた
『月』という作品。
その静かな美しさに、
思わず惹き込まれてしまったのです。
会場で作品の説明を読んだとき、
私は強く心を動かされました。
「月ではなく、闇を描きたかった。
闇を描くために月を描いた。
月は闇をのぞくために開けた穴です。」
この一文に、
鳥肌が立ちました。
多くの場合、
月は“光”として描かれます。
その美しさを表現するために、
夜空がある。
けれど、
この作品は逆です。
闇を描くために、
月がある。
光は主役ではなく、
闇に触れるための手段として存在している。
この感覚は、
仏教などの思想的背景とも
関係していると言われています。
そしてそれは、
東洋医学の考え方とも
どこか通じるものがあります。
私は日頃、
施術の中で「闇」を直接扱うことはありません。
けれど、
光を当てることで、
そこにある翳りに気づいてもらうことはあります。
見えていなかったものが、
ふと浮かび上がる瞬間。
その変化が、
回復のきっかけになることもあるのです。
闇を描くために、
光を使う。
髙島野十郎の言葉によって、
自分の中にあった感覚が、
はじめて言葉になったような気がしました。

