過去に書いた記事をリライトしてみました。
さて、上手い鍼灸師と下手な鍼灸師について書いてみたいと思います。
果たしてその定義はどんなものか。
書いておきながらその定義は曖昧な気がします。
私の父はバスの運転手でしたが、私生活でも仕事でも無事故無違反でした。
その一方で母は父の運転は遅くて嫌だと話していたことを覚えています。
私自身は父の運転は車庫入れや縦列駐車などを含めても上手だと思うのですが、どの視点から見るか、どう評価判断するかによって人それぞれ答えは違ってくるものです。
先日、仕事帰りに駅まで歩いていた時のこと。
片側一車線の路地、一台のタクシーが猛スピードで黄色信号を右折していきました。
運転のプロが歩行者のことを考えずに走る姿は気持ち良いものではありません。
もしかしたら事故を起こしていた可能性もあります。
しかし、運転手からしたら自分の運転技術に惚れ惚れしていたかもしれません。
けれど、私ならこのような運転をする人の車には乗りたくないなと思うのです。
なぜならお客さんを乗せていない時もプロだからです。
このことは施術にも当てはまります。
そのことを客観的にみることができるか、俯瞰して考えられるかどうか。
それが大切です。
時間をかけて丁寧という面は手際が悪いにもなります。
早さは雑と感じられたり。
会話を大切にしていたらお喋りになったり。
無言だと愛想が悪いになったり。
そのバランス意識が高い人が上手な鍼灸師だと思います。
これらは鍼灸以外のことですが、治療においてはチクっと切皮痛がしたり、響いたり、ジーンとしたり、重かったり、熱かったりするとマイナスに捉えられることがあります。
逆を言えばチクっとしなければ、響かなければ、暑くないお灸をしたら上手な治療と言われるわけです。
一般的には、痛くない、手さばきが早い、太い鍼や長い鍼を扱える。深い鍼を安全に打てる、短時間に大量の鍼が打てるなどが指標としてあるでしょう。
けれど実際は患者さんの多さで計られるのです。
そしてそれは決して技術の確かさとイコールとは限りません。
拠り所とすべきなんらの形も存在せず、技の規範もなく、鍼灸技術を競い合う技術もない現状では、鍼灸技術の「上手さ」「巧みさ」というものは説明が不能です。
M-1グランプリでチャンピオンになったコンビは絶対に面白いのか。
それは審査員の好みによります。
視聴者は観覧者の歓声やワイプに映る芸能人の笑顔によりバイアスが加わりますから、本当に面白いと感じているかはわかりません。
TVの特番で放送されるカラオケ王決定戦もそうです。
カラオケ採点機械が当てはめる音程、安定感、抑揚、ロングトーン、テクニックが優れているのに感動しないのはなぜでしょう。
結局のところ好みは人それぞれ異なるのです。
「鍼は響いて欲しい」という人もいますし「響くの嫌」という人もいます。
「お灸は熱くないと効いた感じがしない」という人がいれば「火傷は嫌だからお灸をしないで」という人もいます。
結論として自分の身体の不調を改善してくれて気持ちよければそれで良いというのが心理です。
つまり、技術ともミュニケーション能力と豊かな人間性があり自分と相性が良い人があなたにとっての上手な鍼灸師です。
なぜこのような記事を書いているか。
それは、ツボを紹介するような鍼灸師や鍼灸院が沢山ある中で、それを読んだだけでは自分にあった鍼灸院か判断がしにくいからです。
先日も紹介しましたが日本の鍼灸の受療率は5%。
その人たちは自分にあった鍼灸院や鍼灸整骨院に通っています。
そう考えると相性というものがあり、綺麗事だけを紹介するのは無意味ではないかと思うのです。
当院が記事を書く理由、写真をアップする理由、症例レポートの詳細を書く理由は、その感性の部分で何か感じ取ってもらえる人に来て欲しいからです。
鍼灸は運転や料理と一緒です。
刺せば鍼灸として成立します。
目的地に運べば成立します。
お腹いっぱいになれば成立します。
とは思いません。
丁寧にきちんと施術する。
目的地までに安全に心地よく運ぶ。
お腹がいっぱいになって、美味しくて、美しくなければダメです。
私はこのような考えで施術をしています。
そこには家元の弟子という肩書きはありません。
上手い鍼灸師か下手な鍼灸師かの判断の前に、あなたにとって良い鍼灸師か。
そのことを判断して欲しいと思います。
そういった視点で鍼灸院を探すのはいかがでしょうか。
上手い鍼灸師と下手な鍼灸師
