なぜ人は誰かと分かれる時に痛みを感じるのか

ある日、テレビで宇多田ヒカル特集が放送されていました。
ニューアルバム『SCIENCE FICTION』の特集だったのでしょう。

中学生の頃、初めて彼女の歌を聴いたときのことを今でも鮮明に覚えています。
それまでの日本人にはない魅力。
同世代なのに、まるで違う世界の人のように見えた存在。

歳を重ね、聴く音楽も変わり、特別に意識することはなくなっていました。
それなのに、その特集を観ているうちに、彼女の世界観に引き込まれていきました。

気づけば言葉をメモし、
YouTubeで対談を探し、
さらにはクライアントにもその話をしていました。

なぜ、惹かれるのか。

その理由は、ある問いと答えにありました。

なぜ人は、誰かと別れるときに痛みを感じるのか。

その問いに対する彼女の答えはこうでした。

「もともと痛みがあって、その人の存在が痛み止めになっていたから。」

この一文に、私は立ち止まりました。

私は人との別れが得意ではありません。
寂しさというより、心の一部が欠けてしまうような感覚。

祖母は、私にとって特別な存在でした。
けれど、いつかいなくなってしまうことが怖くて、
次第に自分から距離を置くようになっていました。

鍼灸を学んだのも、祖母に長生きしてほしかったから。
それなのに、老いていく姿を受け入れられず、
ただ同じ時間を過ごすことしかできなかった。

今思えば、祖母は
私の心の隙間にそっと手を当ててくれる存在だったのだと思います。

幼少期から感受性が強く、繊細で、不器用だった私を
何も言わずに見守ってくれていた。

だからこそ、その存在が
“痛み止め”だったのかもしれません。

人は、誰かを失うから痛むのではなく、
その人によって和らいでいた自分の痛みに、
改めて触れるから苦しくなる。

そう考えると、
別れの痛みは弱さではなく、
その人がどれだけ自分を支えてくれていたかの証なのかもしれません。

心には、目に見えない古い痛みがあります。
それを誰かの存在がそっと包んでくれていることもあります。

だからこそ、
誰かを失うとき、私たちは揺れる。

けれど、その痛みを知ることは、
自分の本当の感情と向き合う機会でもあります。

皆さんは、思い当たることはありませんか?

誰かの存在が、
知らないうちに自分を支えていたこと。

そして、
いま誰かの痛み止めになっているかもしれないこと。

命を大切にするということは、
そうした見えない支えを大切にすることでもあるのだと思います。

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