西洋医学と東洋医学のどちらを選ぶか。
結局のところのゴールは同じであって、その過程が違うということだと思うのです。
『サントリー緑茶 伊右衛門 特茶 人生の階段』のCMを観ていたら分かりやすく解説していました。
その内容は、コウメ太夫さんが一人二役を演じたもので、背広を着た男性はエスカレーターで進み(A)、コウメ太夫さん(B)は階段を上るというもの。
(A)
「なぜ、そんなことをしている?」
「こっちは良いぞ、実に合理的だ」
「そんな風に汗水を垂らさんでも勝手に連れて行ってくれる」
(B)
「どこへ?」
(A)
「ん?」
(B)
「そのエスカレーターはどこへ向かっているのですか?」
(A)
「それは」
「誰しも皆、等しく行くところさ」
(B)
「じゃあ、行き急ぐ必要はないね」
(A)
「でも疲れるだろ」
(B)
「あぁ、疲れる」
(A)
「ではなぜ?」
(B)
「実感が欲しい」「この足で人生を全うしたという実感が欲しい」
(A)
「けせんな(みっともない)、どうせ向かう所は同じだというのに」
(B)
「人生の豊かさとは、何を成したかだと思ったら」
「どう生きたかでした」
Aの人は病気になった時に直ぐに病院で行って薬をもらい治ります。
ですからBの人が鍼灸や漢方を選択していると思うことがあるわけです。
そして、それに携わる鍼灸マッサージ師にも違和感がある。
しかし私はBさんと階段を一段ずつ上りながら、エスカレーターで上へ進むAさんを眺めるわけです。
そしてBさんは私にこう言います。
「すぐに良くなるとは思っていませんから」。
私はこれまでに何度も同様の景色を見てきました。
それはエスカレーターで上に進んでいたAさんがその後に病気に罹り、階段で上に進んでいったBさんが元気になっていくのです。
合理的なものを選ぶ背景には「時間」「お金」「自信がない」「あとでやろうと思ってた」というものがありますが、これらを選択した先にあるものと、これらを理由にせず選択した先にある人生の豊かさは異なる気がします。
つまり、生き方によって。
鍼灸はどんな人が受けるのか?
それは非合理な人なのだと思います。
やれば治るというものではありませんし、受けたからといって妊娠するものでもありません。
けれど元気になる。
「病気が治れば元気になると考える西洋医学」と「元気になれば病気が治ると考える東洋医学」。
数値的に問題がないのに病気の人もいれば、数値的に異常があるのに元気な人もいるわけです。
そのどちらを選択するか。
私は「その人次第」だと思うのです。
ですから「自分で考えて生きる」という選択をして欲しいのです。
生きている実感を得てください。
その足で人生を全うしたという実感を得てください。
人生はとても短いです。