「私はしたい」と思うとき。
そこには、まだ少し余白があります。
できたらいい。
機会があれば。
いつかは。
その余白は、やさしくもあり、
同時に、どこか曖昧でもあります。
ニューヨークに滞在していたとき、
ひとつ印象に残っている話があります。
滞在5日目。
トリートメントの最中に、
ふとこんな質問をしました。
「どうして、この国に来たんですか?」
返ってきたのは、
シンプルなエピソードでした。
来たばかりの頃、
たまたま乗ったタクシーの中でのこと。
「ここに住む気があるのか?」
そう聞かれ、
「I want to live here」と答えた。
するとドライバーは、
短くこう言ったそうです。
「I will でない限り無理だな」
その一言で、
“できたらいいな”という立ち位置に、
はじめて気づいたと言います。
そして、
「したい」ではなく、
「する」という側に立つことを選んだ。
その違いは、
言葉にすればわずかです。
けれど、
どこに立つのかが変わると、
見えてくるものも変わっていく。
以前、ある方が言っていました。
「能動と受動は、使い分けるものだ」と。
流れに任せるときもあれば、
自分から動くときもある。
ただ、
何かを変えようとするときは、
やはり自分から立つしかない。
「海外に行きたい」
そう思ったときから、
少しずつ動き始めました。
声をかけてくれる人がいて、
気にかけてくれる人がいて、
気づけば、
思いもしなかった場所へと繋がっていく。
点のように見える出来事が、
あとから線になっていく。
あるとき、こう言われました。
「この国は、手を上げ続ければ
手を差し伸べられる場所なんですよ」
その言葉は、
とても静かで、現実的でした。
特別な才能ではなく、
ただ、手を下げないこと。
動き続けること。
それだけで、
届く場所がある。
「したい」と思うことも、大切です。
けれど、
どこかで「する」と決めたとき、
流れは少し変わりはじめる。
あれから時間が経って、
あらためて思います。
大きな違いは、
ほんの小さな言葉の中にあるのかもしれません。
あなたは、
どちらの言葉で、
いまを生きていますか。

